

大藤文子 Ayako Ohto
平成15年度 スポーツ医科学科卒業生(茨城県立並木高等学校出身)
人命を救う、という仕事のやりがいに強く惹かれ、今の道を目指すことに決めたのは、高校3年のとき。国士舘は、国内で初めて救急救命士の資格が取得できる学科を創設した大学で、私はその一期生です。学科の内容は想像以上にハードで、遊ぶ時間はほとんどありませんでした。徹夜で勉強することも珍しくなかったですが、そのかいあって、念願の救命士の資格を取得することができ、今の仕事に就くことができました。
救命の現場は過酷なことも多々あります。人の生死に直面する場面では、泣きそうになることもあります。しかし、その感情を引きずらないこともプロとしての務めです。次の現場は待ってはくれませんし、どんな時でも冷静に迅速に対応しなければならない使命があるからです。今は救命士三人で一組のチームとなって、現場にあたっています。会話を交わせない深刻な現場もありますから、お互いの目を見て連携できるくらいのチームワークが必要です。
女性の救命士というのは珍しいと思われるかもしれませんが、女性や子どもの対応など、女性ならではの活躍の場もあります。「女性がいてくれてよかった」と感謝されることも。今では、「接遇」のスキルでは誰にも負けないという気持ちを持っています。そんな自分の強みを見つけ出せたことは、ささやかな誇りです。でもそれは、上司や仲間が私を認め、励ましてくれたおかげだと思っています。特に最初にお世話になった隊長は、今でも私の憧れです。「都民が安心して頼れる」をめざし、前向きな態度で隊員を励ましてくれた姿に、自分も少しでも近づけたらと思っています。また、同じ救急の現場で活躍している同窓生の存在も、励みになっています。女性では私の他に二人いますが、今でも連絡を取り合い、情報交換をしています。そして何よりも、無事に回復した方がわざわざ署までいらしてお礼の言葉をくださったときなど、本当にどんな苦労も一瞬で吹き飛んでしまいます。そのような温かい数々の支えが、今の私の原動力になっています。
精神的にも肉体的にもハードな仕事ですが、限界を超えるほどがんばった大学時代があったから、今でも努力することは当たり前と考えられるようになったのだと思います。今も、「技術は寝ずに学ぶ」をモットーにしています。これからも全ての傷病者を救えるようにがんばりたいですし、いつかは、署長として町の人々に頼りにされるような署を作りたいですね。